フランク・ロイド・ライトの予言③~失われた景観

ライトの予言シリーズ第三弾
フランク・ロイド・ライトの予言①~理解されなかった建築家
フランク・ロイド・ライトの予言②~日本人の住環境を考える


ライトが自由学園明日館を作った時、設計図にはたくさんの樹木を描き込んでいる、かなり具体的な描写で。当時雑司ケ谷と呼ばれたあの一帯は、江戸時代は将軍のお鷹狩の場所であり、学園ができた大正時代は麦畑があったという。池袋のビル群を後ろに控えた現代の様相とはまるっきり違っている。自由学園は「草原住宅様式」とよばれる、自然の景観と一体感のある、高さを抑えた、軒の長い、まさに大地から生えてきたような建物である。「校舎が木なら生徒は花、木も花も本来はひとつ」とライトは書き、当時の新聞記事には、「十二単衣を着た様な女子学習院や兵営を見る様な日本の一般の学校建築を見なれた眼にはそれこそ自由学園の名に相照子供の学びの園だという感じを一層強く与える」とある。

重要文化財自由学園明日館。一度でも行ったことのある人は、あのいかにも田園的な建物が一面の麦畑に建っている様子を想像してみてほしい。なんと平和な美しい景色であろう。広々とした芝生の庭を持つ建物をライトはさらに多くの樹木で囲んだ。建物を決して単独でそこに置いたのではなく、建物と周辺の平面的な土地を、大小の植え込みによってつなぐことで、全体的な一体感をより強調したのだと思う。校舎の前面はすべて作り付けの花壇として設計している。植物と建物は切っても切り離せない関係なのである。学園の前には創立者の羽仁夫妻の家があった。ライトはそこから植物を移植している。予算ぎりぎりだった羽仁夫妻はよろこんで自宅の庭の樹木を提供した。

ところが、である。1997年に明日館が重要文化財に指定され、ライトが建てた時よりお金も時間もはるかにかけて大がかりな修復がなされたのだが、その際に建物周辺の樹は消えてしまった。税金をつぎ込んで復元された文化財は未来永劫保護しなければならず木の葉が散ると屋根が傷むから、という理由であった。手入れも楽になっていいと、たしか関係者の誰かも言っていた(私も関係者のはしくれだったが)。

ライトにとって建物は単体で存在するのではない。ライトの本を読めばすぐにわかるが、その場の材料を使い、景観にもっとふさわしい形で建てたときに初めて、建物もまたそこに住む人の暮らしも豊かなものになるはずなのである。

住宅やビルに囲まれそこだけぽつんと建っている現在の明日館はかなりかわいそうだ。見学者はそこだけ異空間であることに感嘆の声を上げるが、それはライトの本意ではない。ライトは都市集中化による問題を解決するべく、郊外にひとりが1エーカーの土地を持ち、ある程度の自給が可能なライフスタイルを提案した。このブロードエーカーシティ構想は、自動車や高速道路があって初めて可能になるという点で、当時の先端技術を取り入れたアメリカ人らしい理想の生活環境だと考えたのだ。1エーカーは約1200坪。ちょっと想像できない規模である。しかしライトは言った、当時のアメリカ人全員に1エーカーを与えてもテキサス州の大きさにも満たないと。それに対して、そうはいっても住みやすいところとそうでないところがあるじゃないかと反論した人たちがいた。するとライトは、どんなところでも快適な生活空間を作ることができると。寒冷地のウィスコンシン州と砂漠のアリゾナ州の両方を拠点にしたライトらしい答えであるが、たしかにいずれも土地のよさを生かし切った美しく豊かな住居である(写真で見る限り)。

日本も同様である。沖縄には台風に強い石やコンクリート造りの家があり、雪深い谷間の白川郷には合掌造りがある。養蚕の盛んな土地には繭を作るのにふさわしい家があり、海辺には海辺にふさわしい軽やかな家がある、瓦ひとつとっても因州瓦、能登瓦などその土地で取れる土で作ったものがあり、同様に様々な素材の石垣があり、蔵がある。そしてそれらに暮らす人たちの生活、それらの環境を作る職人――こうしたことが日本の豊かな文化を形成していた。

ライトはこうした文化を否定することなく、帝国ホテルを造るべく日本の石を探した。それが栃木県宇都宮あたりの大谷石。柔らかく彫刻がしやすい石である。建設現場には何百人もの石工が来て、ろくに言葉も通じないなかであれだけの彫刻をさせたのだから、ライトと職人双方の努力は大変なものだったと思う。ライトは彼らの職人技と新しいことに対する習得の速さに感銘を受けている。帝国ホテルはまさに日本の文化の表出であった。

『新帝国ホテルと建築家の使命』(フランク・ロイド・ライト著・遠藤新訳)より

新帝国ホテルは単に日本の建築という意味で設計してはいない。これは芸術家が日本に対する、しかもその特質に於いて現代的であり、かつ世界的なる寄与であるという意味で設計されている。
建築について観れば、細部には、何かしら日本らしいもの、あるいは、何処ぞ古代の建築らしいところがある。しかし、その形式も、模様も、工夫も一つだって、何処かから借りて来たというようなものは見当たらない。
要するに、古き日本に敬意を表しているという一事に尽きる。

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