フランク・ロイド・ライトの予言②~日本人の住環境を考える



建築家フランク・ロイド・ライト関連の本を読んでとりとめなく考えるシリーズである。フランク・ロイド・ライトの予言①~理解されなかった建築家


ライトの建築哲学を読むようになって、東京の街を歩くと、私はとても悲しい気持ちに襲われる。現代の東京に、立派な和風建築はほぼない。あるとしても昔の大名庭園跡にある茶室ぐらいだ。ときどき街の中に戦争で焼け残った感じの木造建築も見かけるが、周りとはあまりに調和しないため、窮屈でかわいそうに見える。私が東京に来た25年前には、まだ見るべき「お屋敷」もあったが、それもほぼなくなってしまった。

ライトの目指した理想的な住環境と、今の日本は真逆すぎる。

もともと和風建築あこがれを抱いていたライトが、自然との共生を実現している日本の、新しく生まれ変わらんとする首都東京に、既存の洋風の建物ではなく、真に日本に合った洋風建築を提示しようと造ったのが帝国ホテルであった。

日本は、いわゆる洋館をちょっと手際よく作ることを覚えて来た―否、かなり旨くもやってきた。例えば、かの三菱銀行のような―棺桶―・・・これが日本と何の関係があるというのか、―屈辱―むしろ笑い草だ。現代日本が、いかに、自分の姿を見失っているかを明白に示しているに過ぎない。
これまで見る所では自分は、日本人は模倣の空疎、無意義を発見しているとは思われない。彼等は、むしろその無意義を溺愛している・・・思うに日本は急激な変革を経た惑乱の間に、おぞくも、善悪軽重のけじめを見失ったのだろう。そして、しかも自ら気づかないのであろう。(『新帝国ホテルと建築家の使命』遠藤新訳)

現在私たちが文化財として自慢したい辰野金吾の東京駅も、コンドルの三菱何号館も、ライトから見たら中途半端に西洋風の滑稽な建物と写っていた。ああ、ましてや、今の東京を見たら…きっと日本人は正気の沙汰ではないと思うであろう。

ライトによれば明治時代にすでに日本人は自分の姿を見失い、模倣や無意義を溺愛しているという・・・そのなれの果てが現在なのであろう。

私の住む団地を例にとろう。かつて団地は文化住宅と呼ばれ、最初に入居した人たちは多数の応募者の中の、籤引きによって選ばれた大変にラッキーな家族であった。が、ライトが見たら、この白い箱の集団は風情がなさすぎると非難するに違いない。コンドルの三菱銀行が「棺桶」なら、団地はさしずめ「養鶏所」か。

しかし、しかしである。

昭和43年に造られた5階建て6棟からなる250世帯の分譲団は、いずれの家も南向きで明るく風通しがよく、夕方まで電気をつける必要もないし、冬は奥まで日が差し込むように設計されている。ベランダからはたくさんの桜の木に囲まれた公園が見える。団地の敷地全体もまた大きな欅、樅などに囲まれ、あちこちに多種多様な梅、椿、杏、夏みかん、木蓮、辛夷、鈴懸のなどの樹があって、その下には八つ手、紫陽花、薔薇、チューリップなどが植えられており、各棟の下の花壇には、菊、つわぶき、牡丹、萩、躑躅、杜鵑・・・等々いちいちあげていたらきりがないほどの花があり、広い駐車場は高い紅かなめの垣根によって、視界から見えない設計になっている。

ところがいつのまにか団地の価値は下がった。類語辞典で見ると、「団地住まい」は「わび住まい」とか「あずまや」などと一緒に出てくる。「私、団地に住んでるの」というのは決して自慢には聞こえない。マンションや一戸建てのほうがステータスが高いようだ。

しかし、どんな高級で高層のマンションの周りに人工的な植え込みがあっても、団地の有志の人たちによる花壇のあたたかさはない。大木が広々と枝葉を伸ばし、落葉するようなスペースもない。鶯も盛りの猫の声も蟬しぐれも聞こえない。ベランダに差し込む太陽に堂々と洗濯物も干せない。

一戸建てもしかり。そもそも庭がない。駐車場は狭い。どうやってあの狭い路地を車で通り、あのスペースに駐車するのか不思議なくらいだ。その狭いスペースに、家に収まりきれないのか様々なものが置かれている。家と家はくっついて窓から見える景色もない。それでも一戸建てはステータス、一生をかけてローンを返済するに値するのだろう。経済的価値は高い。

うちの団地は60平米にも満たないが解放感があり狭さが気にならないのは、大きな窓から見える空と公園が壁であり床であるからだ。窓から見える景色が重視されていた時代があった。ガラスを壁代わりに多用したライトの自伝にこう書いてあった。

The dawning sense of the Within as reality when it is clearly seen as Nature will by way of glass make the garden be the building as much as the building will be the garden: the sky as treasured a feature of daily indoor life as the ground itself.  
 You may see that walls are vanishing. The cave for human dwelling purposes is at last disappearing.  (An Autobiography)
現実的に「室内」にいるということの新しい感覚、それはガラスの存在によって自然が庭そのものを建物とし、建物もまた庭になるということである。空も地面と同じく、日々の室内における生活の大切な一部となる。 
壁は消え、人間の穴倉生活が、ついに終わったのである。

東京の住まいは穴倉時代に逆戻りしつつあるのか。

一方で、わが団地にも経済の魔手は伸びている。某有名不動産会社がディベッロパーという肩書でやってきて、容積率を今の20%から100%にするという。5階建てを11階建てにするという。11階建ての後ろの建物の下の階には日が届かない。部屋の大きさも一様ではない。そして私たち住人は、お金を足さない限り狭くて日の届かない部屋を割り当てられる。もちろん、お金を出せば、高層の広い、日の当たる部屋を与えられる・・・当然のことのようにディベロッパーもコンサルタント会社もそう説明する。「こんなぼろい、狭い、耐震構造もない団地なんかによく住んでいられますね、さっさと建て替えに賛成してください」と言わんばかりに。公園の桜も伐るのですか、と聞くとこう言った。「そうですね、でもまた植えればいいでしょう」 50年間木々を愛して守ってきた人の気持ちには経済的価値がない。少なくともそうした気持ちを理解できる神経は持っていない。せめて理解しているふりだけでもしてほしかったが。

周辺の団地は都営の賃貸住宅だったので、建て替えを巡る住民の紛争もなく、ここ数年であっさり建て替えられた。目の前の二つの大きな団地群は目下新築中である。その団地の側面である駅へ続く道に何十本もの古い桜や梅や銀杏、カリンなどの樹が植えられていたが、ある日突然、たった一日でほぼ全部伐採された。住人が何十年も大切にしてきた樹、そこを通る人たちの目を楽しませてきた木。工事現場を覆うシートの隙間から中を見ると、倒された太い幹が山のように積み上げられてあった。私はあまりに突然さにショックを受けて涙が出た。が、もっとショックだったのは、それが当然のことのように受け止めている今の世間である。あれらの大木がなければ、敷地いっぱいに新しいマンションを建てることができるから仕方ないでしょう・・・これが普通のこととして受け止められている、この現代の感覚に、私はめまいがする。

日本人の住環境に対する意識の低さ、というか倒錯した価値観はすでにライトの時代にもあったようだが、どう考えてもベクトルが間違っているとしか思えない。


0 件のコメント:

コメントを投稿