『釈迦の教えは「感謝」だった』①~愚痴を繰り返す知人へ






私には、夜中でも早朝でも電話をかけてきて、何時間でも愚痴をこぼし続ける知人がいる。去年、3年間にわたる闘病を続けた年下のご主人を68歳で亡くし、寂しいやら、親族や友達との付き合いがうまくいかないやらで、お酒を飲んで身体を壊し、一度は入院までしてしまった。

私は彼女とそう深い付き合いではない。もう5年も前にたまたま旅先で彼女のご主人とも出会ってちょっとお世話になっただけの縁である。しかしその後細々とした電話による交流が続き、ご主人のお葬式は行けなかったが、四十九日に行ってきた。遠くの島に住んでいる。

彼女の愚痴は同情に値する。小さな田舎のコミュニティには珍しく国際的な活躍をしたご主人だけに、対外的な交流も親戚づきあいも、凡人にはない面倒な側面があり、四十九日とはいえ法要は大掛かりなものだった。私は第三者として、この法事を滞りなく取り仕切らなくてはならないというプレッシャーに押しつぶされそうだった彼女を、少しでも支えてあげようと思ったのだ。英雄色を好むというのか知らないが、ご主人には女性関係もいろいろあったみたいで、彼の遺言をめぐり前妻やその子供が絡んだりして、短期間の滞在で私が見聞きしたものは、そのまま小説になりそうな濃い世界だった。(いつか書いてみようかな)

が、あれから約1年、恨みつらみの同じ愚痴を言い続けている彼女の話を聞くのは、こちらとしても耐え難い。聞いてあげて気が楽になるならと、先方が酔いつぶれて眠るまで3時間近く電話を繋いでいたこともあるが、しかも愚痴をこぼすのが私だけならいいが、だれかれ構わず同じように(前妻の子供にまで)愚痴っているのだから、いやになってくる。ご主人の遺言を巡っても、知人の弁護士や彼女の地元の弁護士に相談をして、いろいろアドバイスをしたのだが、どんなに親身になったところで、こちらの話には聞く耳を持たず、ひたすら愚痴る。それを聴いてあげたり励ましたりしたところで、まったく効果がない。元々彼女を私に紹介した、同じ島に住んでいる知人は、「旦那も居なくなったんだし、好きなだけ酒を飲んでも誰にも文句言われないし、それで死んでも幸せだよ」とあきれ返って放り出してしまった。

私は夜は携帯をナイトモードにし、日中かかってきてもほとんど取らないことにした。が執拗に鳴り続けるコールが彼女の悲鳴に聞こえて、時々取ってしまう・・・が、また同じ愚痴。私だってそれなりに問題を抱えているし、何より忙しいのだ。「ご主人がなくなったのはお気の毒だけど、子供を亡くしてしまった人もいるんだし・・・」とか「そんなに大好きな人と一緒にいられてよかったじゃない。嫌いな人と別れられずに一緒にいる人もいるんだから」と、とんちんかんな返事をしてみたり。

ところが、そういう意見を言うと、彼女は逆上する。そして「どうせ私なんか誰にもわかってもらえない、もう死ぬ」と電話を切ってしまう。最初は私もこりゃ大変だと思って慌てたが、このごろはその「死ぬ」にも動じなくなった。だいたい本当に死ぬ人は、こういうタイプではないと思う。

もう匙を投げたいし、電話にも出たくはないが、最後に、表記の本を送ってみることにした。ちょっと前にハマった小林正観さんの本である。小難しい本は敬遠されそうだから、こういうやさしい文章の本なら読んでくれるかもしれない。

副題は「悩み・苦しみをゼロにする方法」である。彼女に送る前にもう一度読み返した。1時間で読み終わる。最近、ライト関連の論文とか宗教関連の本を読んでいるので、いまさらこんな軽口の本なんて、って思っていたが、どうしてなかなか、これは頭でっかちの人にはむしろ理解できないかもしれない、実にシンプルかつ当たり前の「幸せへの最短距離」を説く本だと思った。


つづく


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