『調印の階段』①~こんな外交官がいたのか!



この頃ハマっている歴史小説家、植松三十里さんが2012年に書かれた『調印の階段』。

この連休中、滞在していた伊豆高原の家から用事で逗子に行く電車の中から読み始め、夢中になり、乗り換えの駅を何度も乗り越しそうになった。

熱海までの伊東線も、そのあとの東海道線も横須賀線も、観光客で溢れて騒々しいはずだったのにまったく気にならず、あるいは、車窓から見える新緑にあふれた山やキラキラした海さえも見ずに、没頭した。ーーそれほどにスリルとサスペンスに満ちた小説なのだ。

その日の往復約6時間、私はこの主人公の重光葵と上海に行き、大分へ行き、ロンドンへ行った、しかも戦時中の…そして、伊豆高原に戻った私はひと眠りした後夜中に起きて、再び重光葵とともに東京へ行き、日光・横浜・鎌倉・巣鴨、そしてニューヨークへ…

ああ、たった一日で、私はこの素晴らしい外交官とともに、ハラハラドキドキ、時に涙を流しながら、テロや空襲におびえ、昭和天皇やチャーチル首相に謁見し、囚人としての日々を過ごし、最後は国際連合の大舞台に立った――

と、そこまで主人公に感情移入できたわけではないが、小説の素晴らしさは、自分が絶対に体験できない世界を、絶対会えない人たちとの出会いを、主人公を通して、垣間見ることができることだ。自分の人生には起こりえないとんでもない苦労や栄光のドラマを、一日で凝縮して味わうことができること。そのためには主役のヒーローが魅力的に描かれていなくてはならないだろう、この小説のように。

先にあげた地名は、実は本作の目次である。外交官重光葵のストーリーが戦前の上海における爆撃テロに始まり、戦後のニューヨークにおける国際連合の加盟調印に終わる、という展開になっている。

そして本のタイトルにある通り、各所で重光が重要な階段(ステップ)を文字通り上がることになる。

そう、最初の階段は、昭和7年、駐華日本公使として天長節に臨んだ上海の公園に設置された雛壇の階段。壇上の重光は国歌斉唱中に朝鮮人のテロに炸裂弾を投げつけられる。前年には上海事変が起きている。満州国との境界で緊迫状態になった日中間が戦争にならず、「事変」でなんとか収まったのは、松岡洋祐(当時代議士)とともに、重光が現地の陸海軍トップ(野村吉三郎海軍中将、白川義則海軍大将)を瀬戸際外交で説き伏せて停戦に持ち込んだからなのだが、この三人が壇上でテロの犠牲になったのだ。白川大将は間もなく亡くなり、野村中将は片目失明、そして重光は右脚を失う。ーーと、小説は初めから緊迫シーンの連続で読者を引き込んでいく。

次なる階段は、帰国後に福岡から故郷の大分行きの列車に乗り込む際のステップ。大衆に見守られるなか、不自由な義足と松葉杖で、傷ついた郷土の英雄を演じきった。別府温泉でのきついリハビリを、自分の栄達のために犠牲になって働いた母や、急激な西洋化の動きについていけなかった誇り高い漢学者の父を思い出しながら乗り越えてゆく。重光の挫けそうな心を、山菜取りの婆に身を替えた亡き母の幻影に励まされる、という下りを読んだときは、涙が出てしまって困った(何しろ私は電車の中だったので)。

彼の外交努力もむなしく、日中戦争がはじまってしまう。国際協調路線で志を同じくしていたはずの松岡洋祐(この時外務大臣)が、満州国の是非をめぐって国際連盟を脱退し(TVのドキュメンタリーでよく出てくるあの有名なシーン!)日本が国際的に孤立し始めるという難しい時期を、重光は駐ソ大使、駐英大使という、まさに外交の瀬戸際、あるいはほぼ捨石的な立場に置かされる。ロンドンでは国王謁見のためバッキンガム宮殿行きの馬車のステップを昇り切り、後に首相となるチャーチルとは腹を割って語り合えるほどの外交手腕を発揮したが、日本の同盟国であるドイツとイギリスの戦争が始まってしまう。単身赴任の公邸暮らし、そしてその公邸をも爆破する空襲のなかでギリギリの折衝を一身に引き受ける彼の努力は次々と水泡に帰してゆく…

東京に戻った重光は、天皇や近衛文麿首相に戦争回避を直言し、彼等の意志も固かったが、陸軍を抑えることは、陸軍大臣の東條英機が首相になったところで難しかった。本書では、この辺りの複雑な、日本がどうしようもなく大戦に突っ込んでゆく、責任者不在のあたふたしたくだりが、重光の立場から、なかなか巧みに表現されている。対米開戦後でも彼は最善策を模索し、「対支新政策」を作る。

とりあえず開拓の進んだ満州だけは手放せないなら、「ほかの都市を中国人に返してしまえば、日本は泥沼から抜け出せる・・・そのためには外交交渉を進めるしかない。まず中国側が歓迎する施策を実現し(対中不平等条約の改正)・・・租界を中国人の統治下に戻すのだ。」

そして「正義は外交の最大の武器」として、欧米の植民地からアジア諸国の独立を日本が手助けするという手段を思いつく。これが紆余曲折を経て「大東亜共栄圏構想」へとつながるわけである。なるほど・・・こういう解釈というか背景があったのか、大東亜共栄圏って。

重光は、東條に代わる小磯國昭内閣で外相に任命されたが、小磯首相は独断で、アメリカ寄りの蒋介石と接触しようとして、大東亜共栄宣言によって集まったアジア諸国の期待を裏切ろうとする。ここまでくると、政権は閣僚の意思統一も何もない、まさに破れかぶれの様相だ。重光は、最後の切り札として、「鶴の一声」、つまり天皇のご聖断に期待をかけて働きかけるのだが・・・

東京での階段は、息子とともに間一髪で飛び込んだ防空壕の梯子段である。東京大空襲で自宅は全焼した。

外務大臣の地位に上り詰めても戦争を終わらせることができない。しかし、重光にはまだ重大な任務が残る・・・

(つづく)


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